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食品を買いに行く回数が増えた

 定職がなくなったこともあり、買い物の付き添いで食品売り場に行く回数が増えた。車で行くのでほとんど近隣のイオン(イオンモール北戸田店)だが、駅前のマルエツにもたまに行く。

 20日、30日はほぼ皆勤で、「ヤクルト1000」がある11時までには行く。(「ヤクルト1000」は本当に少なく、買えない。)

 食品売り場は好きだ。25年位前マイカル在職時、食品併設店舗の店長を2年ほど経験し、自分なりには勉強もした。ずっとファッションに従事してきて、着任前は非食品のティーンズヤングターゲットの店の店長であり、戸惑いは大変大きかった。その店の食品の売り上げは大きく(年間40億以上あった)、店全体の数字にも大きくかかわるので、前向きに取り組んだつもりだった。

 当時は買い物かご1つで5000円(買い上げ価格)と言われていたように思う。ところが今は7000円~8000円くらいになっている。デイリー性の高い食品が大きく値段が上がっている。テレビでよく報道される卵の値段も1パック最安値で238円だったと思う。必需品の値段が大幅に上がっている。

 そのせいかどうかわからないが、日曜の午前中よりも「20日、30日」のほうがお客様は多いような気がする。「5%オフ」の効き目は大きい。(昔は食品で「全品~%オフ」は考えられなかった。)少し値段が高くなる対面式販売(惣菜など)にはほとんどお客様はいない。お客様が「値段」を意識しているのは間違いない。

 「お客様の2極化」が進んで、今までのコアターゲットの中間層が減少していく中、食品戦略を含めたGMSの先行きは非常に暗い。(同様にモール戦略も先行きは暗いが・・・)

今日のBGM

22

 22才で大学を卒業し、働き始めた。最後の学園紛争で4年間試験はなかった。当然遊んでばかりで、就職口もなく、比較的簡単に入社できた流通業(株式会社ニチイ)に入社した。まったくその業界に思い入れもなく、目標もなかった。ちなみに入社日は1980年4月2日。ちょうど44年前の今日。

 44才でマイカルを退社した。今になって思えばいろんな経験をさせてもらった。この時「22」という数字を意識した。

 誘われて、商業施設の管理をする(今でいうPM事業)会社に入社し、コンサルなども経験した。その会社でファッションブランドの販売代行や、小売業(リテイル)を立ち上げた。

 その後、小売業をその会社から引き継ぎ、個人で会社を立ち上げた。大手小売業で学んだことを実践し、ピークでは27店舗の店を持ち、順調に会社経営をしてきた。         

 3年前のコロナで流れは一変し。去年会社の株式を譲渡した。いろんな整理がやっと終わって、今は立ち止まっている。

 今月で66才になる。「22」を意識していたので、このタイミングは当然想定していた。ただ何をやるにも臆病になる。否定ばかりしてしまう。

 大学入試のころは「楽に」生きたくて文学部ばかり受験しようとした。たまたま当時の彼女(?)が「文学部入試の次の日が商学部だから一緒に受けよう。」と誘ってきたので受験し、そこしか受からなかった。「流通へ行け」ということだったかもしれない。

 44年やってきた「流通(リテイル)」「ファッション」について「思うこと」を気が向くままに書いていこうと思っている。

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