月: 2023年4月

ストーンアイランド

風呂に入りながら、昔読んでいた文庫本を読んでいる。長く読めないのでエッセイが多い。先日、奥田英明氏「野球の国」をパラパラ読んでいて「…上着はCPカンパニーでボトムは兄弟ブランドのストーンアイランド・・・」とワードローブを書いていた。何回かは読んでいるのだが、初めて気がついた。私もずっと好きでそのコーディネイトは多い。年齢は同年代で、大変失礼だが似たところもあるのかもしれない。

ニチイに入社して7年目くらいに、商品部の「開発ショップ」の担当バイヤーというわけのわからない仕事に就いた。わかりやすく言うと、その時はDCブランド全盛期で、丸井やビブレが数字を上げていっており、ニチイもその流れを少しでも入れていきたいという思惑のもとに考えられたポジションだったと思う。ニチイ店舗をサティ店舗に変更していった最初の時期だった。当初は「田舎のビブレ」がコンセプトだったように感じる。(その後GMS進化系?のサティにすべて業態変更される。)

田舎でビブレを作るのはハードルが高かった。まず取引先が出店を嫌がる。地方都市でも売れているブランドを取り扱う地方の会社はある。その会社に出店してもらうには賃料が合わないし、地方の会社が投資に見合うか読めにくい。

話が長引くので、経緯は割愛するが(私の大きなターニングポイントなのでまたの機会に書きます。)名も知らないDCブランドが退店した高崎店の6階の約100坪をインポートブランドで自主構築した。参考にしたのは渋谷パルコシード館、伊勢丹「スライスオブライフ」。

特にシードには足しげく通った。売り場もワイヤー吊りにアルミのパンチング什器と真似た。今ではよくこの投資が通ったと驚くけれど、あの当時の高崎駅前の売れてないビルの6階を頑張って変化させた。(当然大きな赤字だったが・・・)

30年位前のことだと思う。「CPカンパニー」を仕入れたくて、大阪に行った。その当時は「三和トレーディング」という会社がブランドを展開していた。そこで出会ったのが「ストーンアイランド」で、大げさだけど「温度によって色が変わる」ブルゾンが展示されていた。値段は20~30万くらいだったように思うが、それを無謀にも仕入れた。そこから商品を見るようになった。(そのブルゾンは半額以下でブランドを知っているおじさんが買っていった。)

ブランド自体は、その後イタリアブーム、(イタ物ブーム)もあったが、マイペースの販売を続けており、CPカンパニーとは別になり、去年「モンクレール」の傘下となっている。少しヤング化しているのかもしれないし、今後はもっと値段が上がるかもしれない。

収入がなくなったのでアウトレットに期待したが、売れ筋の色が欠けてしまっており、残念だった。今後も伊勢丹はまめに見に行くし、少し余裕ができれば買っていきたいと思っている。

顧客ターゲットを間違えると、絶対商売は成功しない。

マイカルが倒産し、イオンに吸収されたとき、岡田社長(現会長)がマイカル幹部社員に訓話をした。 「イオンはELP(エブリデイロ-プライス)を突き進んでいきます。」と宣言した。自分としてはそれが退社のきっかけになったのだが、すごいと思った。

量販店のオーナーは、量販店オーナーから脱皮したいのか、グレードアップを進めたがる。ニチイをマイカルに変えたし、ユニーはアピタに変わった。百貨店志向もあり、ダイエーは「プランタン」を、西友は「西友西武」を展開していたし、イオンも「ボンベルタ」、マイカルも「ダックシティ」を持っていた。

バブル期ぐらいから、商品をグレードアップ(単価アップ)させ、絶対不可能な「好感度値頃」を言い出した。イトーヨカドーでさえ伊勢丹のバイヤーを招き入れ、商品感性を上げようとした。(百貨店のバイヤーと量販店のバイヤーは全く業務内容がちがうので、成功するとは思わなかったが・・・)

そういう状況の中での「ELP」の宣言は大変重いものだと思う。

その後、イオンはどう変わったか?「イオンスタイル」と題したコーナーを作って、高級ブランド(オロビアンコなど)を品揃えし、感度アップ?をしたりして「ELP」には、ずいぶん遠ざかっていった。昔のマイカルを見るようだった。その間に衣料では「ユニクロ」「GU」など子供カテゴリーでは「西松屋」、住関連では「ニトリ」などが増大し、価格志向の面で完全にイオンの衣料、住関連は後手に回った。

「ELP」を突き進んでいれば、完全にイオンが独り勝ちだったと思う。

GMS衰退はGMSが勝手にお客様を見失ったことが、一番大きな要因だと思っている。

いろんな業種にも同じことが言える。今モールに入店している各社も想定顧客ターゲットと、モールに来ているお客様の実際のターゲットとが違っているのではないだろうか?イオンモールやららぽーとがモールを作り始めたころは、近隣の行きやすい施設にグレード感のあるショップが入っていて新鮮だったこともあり活況を呈していた。20代、30代をターゲットにしていたブランドは次々に姿を消し、ブランドも消滅している。

かつて「ナチュラルビューティベーシック」というブランドの販売代行をしていたことがあった。当時のサンエーインターナショナルの「ナチュラルビューティ」のディフュージョンバージョンで、今でもSCではメインの場所にリーシングされている。当時は20~30代だったターゲット年齢が、20年経過し、顧客も同じように年を取り、ヤングミセス~ミセスが中心顧客になっているように見える。それでも各SCではメインの場所にある。

 モールのターゲット年齢はヤングミセス~ミセス(40~60才)なのだろうか?

 モールもブランドも顧客ターゲットがずれてきている。

 自分でも店を持ったが、グレード感のある商品を仕入れたりすると、数人のトレンドリーダーは興味を持つが、最終的には売れ残る。やはり中心顧客の目線を崩すと、営業数値に現れてくる。

 顧客ターゲットを分析しよく知ることが、商売成功の要因だと思う。

 今日のBGM

中高年とインバウンドが動力になっている

草津温泉に行ってきた。経路は以下の通り。

・足利フラワーパーク

 きれいなところだが、それより平日午前10時過ぎにもう駐車場は渋滞。園内はほぼ満員の活況。大部分は中高年(60才以上)とインバウンド客(東南アジア系、中国)。

・ホテル

 少しグレードを上げて全室露天風呂付のホテルにしたが平日でもほぼ満室。居心地はいいホテルだった。ここでも中高年とインバウンド中心。

・鬼押し出し⇒白糸の滝

 中高年とインバウンド(白糸の滝はなぜか特に東南アジア系)

・軽井沢アウトレットモール

 少し若い層も多いが、中心は中高年。東南アジア系のインバウンド客はチラホラ。 (もう絶対アウトレットには期待しない。出店各社とも「在庫処分」より「売上利益確保」)

 あまりこういう現実を見たことがなかったので少し驚いた。平日でこの状況なら、土日祝日は大変だろうと思う。観光ターゲットは完全に「中高年」と「インバウンド」。

ここから金が動くということかな。

■「鬼押し出し」にあった

「ジョン・レノン家族生活」の写真

現状のショッピングモールのテナントリーシングについて

この3年間のコロナ不況で、小売業は大きなダメージを受けた。出店投資を大幅に削減し、内向きの戦略をとらざるを得なかった。

その状況下、退店要請、賃料削減要請がありモール自体も苦境に転じている。

1.もともと高い賃料で出店していた小型区画(20~50坪)の退店が多かった。小型区画の代替えテナントの賃料相場が下がり、賃料収入がダウンしていっている。

2.モールは集客力があり、出店希望もある大型カテゴリー物件の出店を進めている。これは空床区画がカバーできる代わりに、賃料が下がり、なおかつデベロッパー負担の工事費用が大きくなる。一般的に区画が大きくなればなるほど、坪賃料は下がり、大型区画になると、歩率のみや、安い固定賃料になるケースが多い。

3.賃料収入を意識すると、高い利益率のカテゴリーの出店が増える。携帯ショップが乱立しているモールも多い。

4.一般的にアンカーテナント(大型テナント)も含めてカテゴリーでまとめてリーシングするが、カテゴリーと異なるテナントもリーシングしなければならない状況になっている。(例えばファッションの中に他業種が入るなど。)

大型カテゴリーが増えれば、店舗数が減るのでバラエティ感がなくなるし、携帯ショップが多くなると、雑多感があり、押し売り感も強くなる。つまりテナントに対する魅力がなくなってきているのが現状だと思う。

4月にオープンした、「イオンモール豊川」、「ららぽーと門真」も現状見てはないが、上記した傾向が見てとれる。「豊川」の3階の東側はカテゴリーが混在しており、携帯ショップも多い。「門真」は旧「鶴見アウトレット」をうまくはめ込めて良くはなったが、3階のリーシングに苦労の跡が見える。(賃料の問題で、ららぽーとが本来取り組まないだろうテナントが数件入店している。ただ「バーニーズ」のアウトレットがほぼ都心に出ているのは驚く。)

もう建築コストを考えても、3層のモールを作る必要はないと思うし、既存のモールについては、おそらく近い将来大きな問題が発生すると思う。

■今日のBGM

国内のショッピングモールはすでに飽和状態

ショッピングモールにはRSC(リージョナルSC)CSC(コミュニティSC)NSC(ネイバーフッドSC)があるとされ、規模、商圏で区分されている。ここで言うショッピングモールとはRSCとして理解してほしい。RSCとは定義では4万㎡以上、25㎞商圏となっている。GMS,SMを核としたモールだが、主なテナントはほとんど類似している。衣料では、ユニクロ、GU、グローバルワーク、ライトオン、雑貨の無印、ニトリ、靴のABCマート、大型家電、シネコンなど。ファミリー顧客をターゲットにしているから当然似てくる。

最寄り駅(武蔵浦和駅)15Km圏内に、8か所ある。簡単にまとめてみる。

・イオンモール北戸田   距離3.3Km規模4.4万㎡ シネコン、GU,家電なし

・イオンモール川口前川  距離6.3Km規模6.6万㎡ シネコンなし

・コクーンシティ     距離6.7Km規模4.7万㎡ 全てあり

・イオンモール与野    距離8.0Km規模5.2万㎡ シネコン、GU、ニト      リ、GWなし

・イオンモール川口    距離8.3Km規模5.9万㎡ GU,ニトリ、GWなし

・イオンモール浦和美園  距離10.7Km規模6.2万㎡ ニトリなし

・ららぽーと富士見    距離11.2Km規模8.0万㎡ 全てあり

・ステラタウン      距離11.2Km規模5.4万㎡ シネコン、ニトリ、GWなし

思いつくだけで8件、さらに規模が小さいがアリオ川口やララガーデン、イオンモール上尾なども15Km圏内にある。距離17.9Kmで越谷レイクタウンもある。

さて、どうやって差別化するのだろうか?上記SCでまずまず成功していると思えるのは、レイクタウンは別とすると、コクーンシティ、ららぽーと富士見、イオンモール浦和美園かと思われるが、イオンモール内、ららぽーと内で突出しているわけではない。

2000年イオンモール川口前川が「ダイアモンドシティキャラ」としてオープン時には上記の競合は全くなく、独占状況であり、日本で指折りのSCだったことを考えると、完全に過多状態になっている。

広域から集客することで成り立つモールが、完全に狭商圏化してきている。当然人口は増えるが今のモールが昔のGMS化しているように思える。1970年から1980年代のGMS出店ラッシュ時と似ている。

大型モールの個性もなくなってきており、わざわざ感は全くなくなっている。まして俗にいう「中流」層が経済的に厳しい状況になってくれば、もっと今後は見えてこない。「上流」層の百貨店(高級品)志向は強まるし、「中流」層も利便性を考えたNSCやSM(スーパーマーケット)に流れていくのは間違いない。現状もショッピングモールもNSCとしての機能が最も多いのではないかと思う。

今後の商業施設、特にショッピングモールの動向は注目していく必要がある。

■今日のBGM

GMSは完全に終わった。

イトーヨーカドーが「衣料品からの撤退とテナント導入」との記事が出て、ちょっと納得はできないのだが、「GMSの終焉」ということを感じた。イトーヨカドーの衣料品を詳しく見てないのでジャッジしにくいが、昔からの流れだと、おそらく「ちゃんとした」商品を「ちゃんと」展開していたのだと思う。ただ駅前のGMSは郊外のモール(RSC)に」完全にお客様を取られてしまい、SC自体の戦略のミスが大きいのではないかと感じる。

30年くらい前のGMS出店競争で、しのぎを競った各社はもうイオンくらいしか残っていない。「ダイエー」「マイカル」はイオン傘下になり、「ユニー」はドンキ傘下、「西友」もウォルマート傘下から外資ファンドの傘下になっており、イトーヨーカドーの今回の政策でほぼGMS業態は終焉になる。

私にとってイトーヨーカドーは、「優等生」で、感情より「数字」で判断する会社というイメージだ。セブンイレブンの成功もそこから来ていると思う。イオンが大型SCを始めたとき、おそらくここまで成功するとは想定していなかったのではないか。当然研究はしていただろうが数字上は収益に合わないと判断したのだと感じる。そこにはきちんとした理論武装はあったと思う。数字に表れてこない「何か」が説明しずらい風土だったのだと思う。

イオンのSC戦略は「無駄をプラス」に変えたことだと思っている。例えばその規模だ。5万㎡必要なのかということ。例えば、テナントリーシングでの妥協。どうしてもイメージを上げるためのテナントに対して、どれだけいろんなコスト面で妥協ができるかになる。そういうことがたくさんある。イトーヨーカドーの「アリオ」開発時手伝ったことがあるが、そのファジーな感覚が、数字では説明できず、やはり固い戦略になっていたように思う。そういう意味で「アリオ」は開発が遅れ大型化ができず、出店加速がなかったのだろうと感じる。逆に「セブンイレブン」はきちんと計算ができ「成功の公式」をいち早く作れたため、ここまで大きくなったのだろうと思う。

今後のイトーヨーカドーは衣料関連のテナントを導入すると発表されていたが、そんなに簡単ではないと思う。得意な緻密な収益計算にかなうテナントがどれだけあるのか、どれだけ出店してくれるのか疑問だ。

こうなるとをイオンが勝ち組のようだが、実は国内では「モール戦略(RSC)」はもう過渡期を迎えていて、モールの時代も終焉に向かっていると感じている。少なくとも国内のこれからの商環境は、大きく変化していくと思う。

今日のBGM

食品を買いに行く回数が増えた

 定職がなくなったこともあり、買い物の付き添いで食品売り場に行く回数が増えた。車で行くのでほとんど近隣のイオン(イオンモール北戸田店)だが、駅前のマルエツにもたまに行く。

 20日、30日はほぼ皆勤で、「ヤクルト1000」がある11時までには行く。(「ヤクルト1000」は本当に少なく、買えない。)

 食品売り場は好きだ。25年位前マイカル在職時、食品併設店舗の店長を2年ほど経験し、自分なりには勉強もした。ずっとファッションに従事してきて、着任前は非食品のティーンズヤングターゲットの店の店長であり、戸惑いは大変大きかった。その店の食品の売り上げは大きく(年間40億以上あった)、店全体の数字にも大きくかかわるので、前向きに取り組んだつもりだった。

 当時は買い物かご1つで5000円(買い上げ価格)と言われていたように思う。ところが今は7000円~8000円くらいになっている。デイリー性の高い食品が大きく値段が上がっている。テレビでよく報道される卵の値段も1パック最安値で238円だったと思う。必需品の値段が大幅に上がっている。

 そのせいかどうかわからないが、日曜の午前中よりも「20日、30日」のほうがお客様は多いような気がする。「5%オフ」の効き目は大きい。(昔は食品で「全品~%オフ」は考えられなかった。)少し値段が高くなる対面式販売(惣菜など)にはほとんどお客様はいない。お客様が「値段」を意識しているのは間違いない。

 「お客様の2極化」が進んで、今までのコアターゲットの中間層が減少していく中、食品戦略を含めたGMSの先行きは非常に暗い。(同様にモール戦略も先行きは暗いが・・・)

今日のBGM

ふかや花園アウトレットモール

 先月「アウトレットバーゲン」のCMを見て行ってきた。

 いろんな商業施設にも、アウトレットにも足を運んだことがある。このアウトレットモールはもともと「チェルシー」の流れを持つ三菱地所が開発運営しているモールで、他のアウトレット(三井やイオンなど)よりショップMDのグレード感は高い。プレミアムアウトレットとうたっている。私自身もアウトレットモールでは一番信頼性が高いと思っている。20年位前出店依頼をしに行ったときは「日本にはそんなに出店の余地はない」と言っていたが・・・

 感じたことを,以下に述べる。

1.プレミアムブランドが少なすぎる。

 女性客を呼び込むべく服飾系のプレミアムブランドが少なすぎる。

2.もう日本のセレクトショップのアウトレットには全く魅力がない。

 「UA」「ビームス」「ベイクルーズ」も商品の魅力は全くなく、お客様にもアウトレット用の商品と完全に理解されている。集客があれば当然そのお客様向けの商品を作るのは普通のことだが、あまりにも多すぎる。「ビームスハート」「アデイインザライフ」などアウトレットMD商品に魅力はなく、「ユニクロ」や「無印」で十分対応できる。昔はセレクトアウトレットに「ソブリン」や「ディストリクト」もあって探す楽しみがあった。

3.店舗数が他のアウトレットに比べて圧倒的に少ない。

 コロナで小売業が疲弊しているときのテナントリーシングであり、さらに首都圏近郊ということもあり集まりにくかったのではないか?プレミアムアウトレットでも「御殿場」は293店、「りんくう」は270店「三田」220店、近隣の「佐野」でも180店ある。それに比べて137店は完全に見劣りする。第2期、第3期を見据えての店舗数だと思うが・・・

4.打ち出しは「買い物+環境」。

 当然そうなるが、ショッピングに魅力がなければ、再来店は難しそうな気がする。

 ということで、ショッパーを持ったお客様は少なく、買い物には少し残念なモールのような気がする。個人的には30年以上好きな「ストーンアイランド」があってうれしかったが、完全に売れ筋の色欠けだらけできびしそうだった。

 少し不満だったので、足を伸ばして「佐野プレミアムアウトレット」に向かった。車で1時間ちょっとで着く。(完全に商圏がかぶっていると思うが・・・)         さすがに認知されているだけあって、お客様はふかやの倍ぐらいおり、ショッパーを持った目的客も多い。

 「グッチ」や「ボッテガ」「フェラガモ」などには女性客が多く、すごい賑わいだった。売れ筋の色は少なく、「グッチ」では値引きしないコーナーもきちんと作ってあった。それでも買う意欲のあるお客様は多く、売れているように感じた。完全にお客様の2極化は進んでいると感じる。(中流の減少)

 他のショップもぶらぶら見たが、アウトレットに来て「この値段?」という商品も多く、メーカーの思いも感じた。つまりアウトレットは「処分する場所」ではなく「売上、利益を稼ぐ場所」になっているのではないかということだ。おそらくこの時期どこのSCや地方百貨店より集客があり、「買う気」のあるお客様が集まっていれば当然そう考える。ま、祭りで、高い「たこ焼き」や「お好み焼き」が売れるのと一緒の理屈だが、今後それがいつまで通用するかも疑問だ。

 久々に強行軍だったけど、面白かった。ちなみに買ったのはインポートブランドの色、サイズ切れの残りの1着70%オフの商品1点だけでした。・・・「いやな客」。

                      ■今日のBGM                                                                

22

 22才で大学を卒業し、働き始めた。最後の学園紛争で4年間試験はなかった。当然遊んでばかりで、就職口もなく、比較的簡単に入社できた流通業(株式会社ニチイ)に入社した。まったくその業界に思い入れもなく、目標もなかった。ちなみに入社日は1980年4月2日。ちょうど44年前の今日。

 44才でマイカルを退社した。今になって思えばいろんな経験をさせてもらった。この時「22」という数字を意識した。

 誘われて、商業施設の管理をする(今でいうPM事業)会社に入社し、コンサルなども経験した。その会社でファッションブランドの販売代行や、小売業(リテイル)を立ち上げた。

 その後、小売業をその会社から引き継ぎ、個人で会社を立ち上げた。大手小売業で学んだことを実践し、ピークでは27店舗の店を持ち、順調に会社経営をしてきた。         

 3年前のコロナで流れは一変し。去年会社の株式を譲渡した。いろんな整理がやっと終わって、今は立ち止まっている。

 今月で66才になる。「22」を意識していたので、このタイミングは当然想定していた。ただ何をやるにも臆病になる。否定ばかりしてしまう。

 大学入試のころは「楽に」生きたくて文学部ばかり受験しようとした。たまたま当時の彼女(?)が「文学部入試の次の日が商学部だから一緒に受けよう。」と誘ってきたので受験し、そこしか受からなかった。「流通へ行け」ということだったかもしれない。

 44年やってきた「流通(リテイル)」「ファッション」について「思うこと」を気が向くままに書いていこうと思っている。