お盆時期で、企業発のニュースが少ないので、商売についての個人的な経験を書く。

断片的に何度か書いたことはあるが、商売をやらせてもらえたのは33歳くらいだったと思う。大手GMS(マイカル)にいたので、それまでも当然小売りの基本的なことはやってきた。当時は、マイカルが量販店の業態変更を始めた時期で、関東でその1号店だった高崎店のフロア改装だった。物販では最上階の6階はDCブランドのフロアで、改装オープン時は地域特性もあり3.4番手のDCブランドしか交渉できず、その後は当然売れず退店が続いた。オープン時から催事展開のショップもあり、2.3年で半分くらいは退店した。200坪位の面積は空床だったと思う。当時は本部で開発担当のバイヤーをしており、計画を立案した。50坪位を「ポイント」(現アダストリア)に他のビルから移転してもらい、残り150坪を自主MDでの提案だった。「ポイント」にはマイカル直営からのMD変更要請があり、交渉の末、デニムはリーバイス501のみで他は「アヴィレックス」「アルファ」などブランド中心でのMD展開で出店してもらった。自主売場は、その当時はやり始めたインポートブランド中心で品揃えした。

もう詳しくは覚えてはいないが、自主売場の数字は平均在庫35000千前後、売上年間100000千弱、利益率は25%程度の悲惨な数字だったと思う。内装投資は西武シード館を真似て無理強いをして稟議を通してもらった。完全に在庫過多で月8000千の売上と考えると回転率は月度0.2回転くらいだった。当然のように、値下げ金額も大きく、なおかつインポートブランドの買取商売だったので、大きな赤字売場になった。営業会議でもあきれられていたように思う。ただ量販店なのでブランド商売には口を出しにくかったようだ。ちなみに、隣の「ポイント」は年間2億近くの売上はあったので改装効果としては大きかった。

まだまだ、インポート(ライセンス)ブランドは地方ではあまり取扱いが少なく、当時のメインブランドは後にメジャーブランドになっていく。「ポールスミス」「マーガレットハウエル」「キャサリンハムネット」など。卸での販売になるので、掛け率は厳しく65%の完全買い取りがほとんどだった。インポートデニムも揃えたので在庫は当然膨れる。その後掛け率交渉はしていき下がってはいったが、やはりブランド品揃えでは儲からなかった。高層階でインパクトを与え、商業施設のイメージアップのためと考えるしかなかった。さらに、お客様には最低限「ブランドの世界」は見せなければならないので、ある程度の在庫を抱える必要が出てくる。個人ではなかなかこういう商売はできないし、考えもしない。その後いろんなブランドから品揃えの話はもらったが、あまりブランドを広げることはしなかった。さらに、儲けるために国内のセレクトショップに卸しているMDブランドの取引先とも商売をしたが、ブランドでなければ商売にならなかった。のちに有名になるブランドも多かったが、結局は取引先との信頼関係があり、条件交渉ができなければ成功は難しいと感じた。おそらく、モデル店舗の西武シード館も収益は計上できなかったと思う。ただ、高崎店はこれをやったおかげで、新しいブランドが目を向けてくれるようになり、収益店舗になっていったと思っている。商売はうまくいかなかったが、企業として、商業ビルとしての注目度は上がった。

そしてその当時感じたことは以下の通り。

  • 自分の金では、ブランド商売は絶対にできない。
  • 大企業の社員の商売は小売だけではない。「損」が「得」になることもある。
  • 好調な専門店は、お客様と商品をよく知っている。
  • かっこよく売る。かっこいい商品を売ることは難しい。
  • 個人がやっている専門店のように、商品を大事に売っていく事も重要。

そして今一番感じることは、「資本力ある商売と、資本力ない商売は、根本的に違う。」ということ。つまり、「金(かね)」の意識が全く違う。

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